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平成が終わる

2019-04-30

平成が終わっていくこの時期に、Live Coding at Smashing Conf のサイトを見ていて、懐かしい気持ちが湧き上がってきたので、平成を振り返るネタをば。

Live Coding at Smashing Conf

このサイトの左上に円がランダムな大きさで散りばめられています。最初に N88-BASIC というプログラミング言語で書いたプログラムがこのタイプのものでした。画面のランダムな場所に、ランダムな色と、ランダムな大きさで円を書くというプログラムです。

僕の場合、1989年平成元年の時点で、既に親がパソコンを所持していた関係で、ゲーム (ぽい謎のプログラム) を作ったりしていました。ちょうど中学一年生に入ったくらいです。家にあったパソコンは PC-8801 mk-2 MR 。非常に分厚い N88-BASIC の言語リファレンスには、一つの命令に一つのサンプルプログラムがついており、それらを一つずつ打ち込んでは実行させていました。当時は勉強しているという感覚はありませんでした。

当時、PC-8801 は、同時に使える色が 8 色しかありませんでした (その後、512 色中 8 色になった)

  • 0 : 黒
  • 1 : 青
  • 2 : 赤
  • 3 : ピンク
  • 4 : 緑
  • 5 : 水色
  • 6 : 黄色
  • 7 : 白
CIRCLE (中心の X 座標, 中心の Y 座標), 半径, 色コード

こんな風に円とかを書いていました。 色については、今では #34fc98 とか大量の桁の色が使えることを考えると隔世の感があります。

その後、高校に入ると、PC-9801 DX を買ってもらうことになり、16 ビット機にいそしむようになります。PC-9801 になって、16色が同時に使えるようになりました (4096 色中 16 色) ただ、PC-9801 以降は、PC の仕組みが複雑になってきて、もっぱら遊ぶ方が専門となってしまったことが悔やまれます。

大学に入ったのが 1994年。大学では、Gateway 2000Mac LC520 など、今につながるモダンな PC を購入していきます。1995年 には、Windows 95 が発売され、1998年には大学を卒業して開業となります。その頃は iMac DV Tangerine とメイン機にしていました。

こうして、平成の 30 年を自分が使ってきた PC だけで振り返ってみても、どれだけの大躍進が起きたかがわかると思います。コンピューターについて言えば、本当にいい時代に青春時代を過ごせました。

平成の時代には、もっと大きなトピックで言うと、大地震災害 、そのほか、様々な事件が起きています。それでも、僕の中ではコンピューター大躍進の時代だったなあと印象づいています。昭和の時代は、パソコンを持っている人がクラスで一人か二人くらいしかいなかったのですが、平成の今の時代、スマートフォンなどを含めれば一人一台は当たり前の時代になりました。

僕は、PC を使えなければ何も取り柄がないような人間ですから、そういう意味でも僕に限らず、多くの人に社会貢献出来る道が切り開かれました。

今、何も取り柄がないと思っている人が、次の令和の時代に活き活きと活躍できますように とお祈りをしまして、本エントリを終わりにしたいと思います。


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    AUTHOR

    原 一浩 の顔写真

    (はら) 一浩(かずひろ)

    カンソクインダストリーズ代表 / グレーティブ合同会社代表

    1998年に独立し、同年、ウェブデザイン専門のメールメディア DesignWedgeの発行を開始。Webデザイン業の傍ら、海外のWebデザインに関する情報発信を行う。
    雑誌への寄稿多数。主な著書に『はじめてのフロントエンド開発』『プロセスオブウェブデザイン』、『Play framework徹底入門』、『ウェブデザインコーディネートカタログ』など。自社製のWebデザインのクロール&キャプチャシステムvaqumをベースに、様々なリサーチを行っている。Web 検定プロジェクトメンバー

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